物を持たない暮らし
2015年に注目を集め、流行語大賞にもノミネートされた「ミニマリスト」という言葉を御存知でしょうか。これは「ものを持たない暮らし」を実践することで気持ちを楽にし、快適に暮らすための思想を実践する人々を表現する言葉です。
部屋の中にある不要なものをどんどん捨てて行くという片付け術・整理術の考え方は、ミニマリストの信奉するミニマリズムと非常に親和性の高いものです。シンプルに合理的に無駄のない生活をすることで、現世のものに対する執着を捨てていくことで悟りを開こうとする修行の要素さえ含まれています。
ミニマリズムの語源
ミニマリズムは英語のminimal(最小限の)という言葉が元になったもので、minimalに主義思想を意味する接尾辞のismをくっつけることで誕生しました。
元々はお片付けや整理術の分野の言葉ではありません。美術や建築・音楽などの分野で、形態や色彩、使う音色などを極力減らそうと突き詰める創作態度のことをminimalismと言い、1960年代のアメリカを中心に流行しました。
ミニマリズムに関する有名な発言としては、ある建築家による”Less is more”(少ない方が豊かである)や、デザイナーによる”Doing more with less”(少しで多くのことをすること)が有名です。不要なパーツを排し、必要なものだけで作ったシンプルな建築物や静かなデザインを見ると、必要最小限のもので構成されることから生まれる「機能美」のようなものを感じることがありますね。
様々な芸術分野におけるミニマリズム
ミニマリズムそれ自体はとても汎用的な思想です。なぜなら、ミニマリズムは芸術の一形態を指す言葉ではなく、「最小限のものを突き詰めようとする」態度そのものだからです。したがって、他の分野でもミニマリズムの思想から生まれたものを「ミニマル〇〇」と表現したり、そのような創作家をミニマリストと呼んだりするのですね。
たとえば音楽では、音の動きを最小限に抑えてパターン化された音型を反復させるような音楽のことをミニマル・ミュージックと呼びます。同じコードの反復によって作られた音楽はコンピュータの発展に伴って少しずつ発展していきました。スタジオジブリの作曲家として有名な久石譲さんもまた、ミニマル・ミュージックを実践しています。
日本の芸術にたとえるなら、ごく少ない文字数で豊かな世界を表現する短歌や俳句がこれに近いでしょう。もちろん昔は「紙も貴重であまり多くのものを残せない」「長いと口ずさむのも難しい」といった様々な理由もあったのでしょうが、そういった物質的な問題から解放された現代でも俳句や短歌が流行るのは、伝統文化である以上に「最小限に突き詰められた芸術性」に惹かれている方が多い証左なのかもしれません。
片付け術とミニマリズム
お片付けにミニマリズムを適用すると、このようになるでしょう。
生活に必要な最小限のものだけを用意して、他は全て捨てる。
片付け術よりは整理術に応用できる考え方ですね。Lesson3でも何度か触れましたが、不要なものはとにかく捨ててしまうこと。そうして部屋をまっさらにしていき、不便にならないギリギリのラインを見極めていきます。

より少ないもの、少ないお金で生活しようとする場合、ミニマリズムは非常に有益な考え方の一つです。しかし、ミニマリズムの美点は物質的な煩雑さからの解放のみではありません。どちらかといえば、不要な物を捨てることで「今までこんなに必要のないものに囲まれて暮らしていたんだ」という実感を得て、精神的な豊かさが得られる効果の方が高いと言えるでしょう。失くすことによって豊かになる。それがミニマリズムの本質ですから。
様々なミニマリスト
実際には、ミニマリストの皆さんは「所有物を100以下に抑える」「極限までものを捨てて切り詰める生活をする」といったスタイルをお持ちのようです。また、ミニマリスト自体にも、
- 極限まで物を持たない生活を志向する「極限派」
- 気に入ったものを厳選する「シンプル派」
- 必要に応じて買い、使い終えたら捨てる「正統派」
といった様々なタイプが存在するようです。中にはシンプルな生活を突き詰め過ぎて「主人のものを勝手に捨ててしまい喧嘩になった」といった事例もありますし、普通の人にとってはごく当たり前の「身の回りにいろんなものが置いてある」状態が精神的なストレスとしてのしかかってくる場合があります。
ミニマリズムは物質的・精神的な豊かさにつながる考え方ですが、実践すると同時に「少ないもので生きていける自分はとても偉い」と勘違いしてしまう……という落とし穴があります。自分の部屋だけが綺麗なままで、同居人の部屋が散らかっているとイライラするようになったり、他人の家を訪れたり実家に帰省した際に精神的なプレッシャーを感じるようではかえって精神に良くないでしょう。
あまり極限を目指さず、あくまでもそのような考え方を応用すれば有益かもしれない、という程度にとどめて片付け術に組み込んで行きましょう。