Lesson3-7 もったいない

諸外国に広がる「もったいない」

日本の文化が諸外国に広がるのは決して珍しくなく、最近では「kawaii」のような日本的感覚を表現する言葉がどんどん輸出されるようになりました。

その代表格とも言えるのが「もったいない」でしょうか。これは2004年に環境分野で初めてノーベル平和賞を受賞したワンガリ・マータイさんの運動によって、今や世界各地に広まっています。マータイさんはもともとケニア出身の環境保護活動家なのですが、ノーベル平和賞受賞後に日本に来て「もったいない」という言葉と出会い、この概念を世界へ広めようと様々な活動をしています。

もっとも、「もったいない」という考え方自体は普遍的なものですので、マータイさん以前にも先駆け的な運動が多々見られます。1936年にドイツで始まった「無駄なくせ闘争」という展示会の演説から始まった啓蒙活動や、同時期の日本で行われていた国民精神総動員運動なども、当時の世相に後押しされたものとはいえ、もったいないの精神を広めようとした運動であると言えるでしょう。

そもそも「もったいない」って?

「もったいない」という言葉は和製漢語である「勿体(もったい)」に否定の接尾辞を付けた言葉で、そもそも現代のように「大事に物を使っていない」とか「まだ使える」「捨てるには惜しい」「物の価値を十分に生かし切れていない」といった意味合いはありませんでした

勿体の辞書的な意味は「外見の態度や重々しさ」「態度や風格、品位」といったものです。したがって、昔は「勿体を付ける」「勿体顔」といった形で用いられていました。「勿体を付ける」というのは、いかにも重々しく、必要以上に仰々しく振る舞うことです。

たとえば子供がなぞなぞを出したとしましょう。親が答えを見つけられずに、「正解は?」と聞いても、じらすように振る舞ってなかなか教えてくれない。こういうのを「勿体を付ける」と言います。「勿体顔」というのもこのもったいぶった顔つきや態度のことを指す言葉ですね。

これらの使われ方から想像されるように、もともとは「妥当ではない」「不届きである」といった意味合いで用いられていました。日々行う朝礼の挨拶を、卒業式の祝辞を読むように行う、みたいな感じで捉えていただければよいでしょう。しかし、言葉は日々移り変わっていくものです。次第に「(自分に対してそのように丁重に扱われるのは)不相応である」といった具合に転じていき、「ありがたい」「そまつに扱われて惜しい」といった現代的な意味に変化しました。

ちなみに、勿体はかつては「物体」と書かれておりました。本来は「ものの本来あるべき姿」を意味する仏教用語です。

片付けともったいないは対極の概念?

片付け術や整理術と「もったいない」の思想は正反対の概念です。なぜなら、片付けや整理によって「不要なもの」を捨てるという考え方は、そのものの本来の役割をきちんと果たすまで使ってあげようという「もったいない」の精神に反しているからです。というより、もったいないと思うからこそ様々なものを捨てられずに溜め込んでしまうから、部屋が片付かないのですね。

しかし「もったいない」の本来の意味に立ち返ると、また少し違った光景が見えてきます。確かに「もの」を中心に考えれば、十分に本領を発揮する前に捨てられてしまうのは惜しいでしょう。お茶を全て飲み干したペットボトルをすぐ捨てるのではなく、洗ってお茶を入れて水筒代わりに使えば良いのです。まだ着られる服があるなら、多少流行おくれであろうと似合わなかろうと着てしまえば良いのです。一度使ったものは一旦捨てて再利用すれば良いのです。

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ですがそれはあくまで「もの」を中心とした考え方に過ぎません。「もったいない」の思想をものではなく、あなたの住むお部屋に適用したらどうなるでしょうか。広い部屋のおよそ半分が不要なものやゴミ、着ない服、買ったまま埃をかぶっている家電、読まない本で占められている部屋。そんなお部屋は果たして本来の役割を十分に発揮できていると言えるのでしょうか。

思い出してみてください。以前のLessonでも、片付け術によって柔軟な発想が得られることがあるとご説明したことを。ここで「もの」から「部屋」へ視点を変えることができるかどうかが、片付け術をマスターするためのターニングポイントです。

部屋の視点に立てば、よけいなもので埋め尽くされている状態は、本来の広さやゆとりを十分に発揮できていません。毎月何万円も支払っているのにそのうち半分も「不要なもの置き場」としてしか使用できない部屋は、どう考えても「もったいない」使われ方をしています。

茶碗に残ったお米の粒をきちんと全て食べましょうね、という発想にはデメリットがありません。片付けの手間も少しは省かれるでしょうし、栄養をより多く摂取するのは決して間違いではありませんから。しかし「もったいないから必要かどうか分からないものまで取っておくべきか」という段階になると、今度は別の利便性と競合することになります。

片付いた部屋を取るか、それとも常にものが手元にある利便性を取るか。

絶対に残しておかなければならないもの、大事なもの、使用頻度の高いものは捨てる方がデメリットが大きくなる可能性もあります。しかし、所有している方がずっとデメリットの高いものだってあるはずで、部屋の整理とはその「要不要」に適切な線引きをする行為です。

「もったいない」という思想、ものの考え方は大切にすべきものです。しかし不要なものにまで適用する必要はありません。本当に必要なものを残したいとき以外は「もったいない」気持ちを忘れる。そのような柔軟さが必要なのだと心に刻んでおく必要があるでしょう。