技術を身に着ける必要性
一つ質問してみましょう。あなたは、自転車に乗れますか?
恐らくこの講座を受講なさっている方のほとんどは自転車に乗れるはずです。子供の頃に自転車に乗る練習をしていれば、息を吸うような自然さで自転車をこいで遠くへ移動することができるでしょう。
しかし中には、子供の頃に練習するタイミングを逃してしまい、大人になっても自転車に乗れないという方もいらっしゃいます。大人になると運動神経が鈍って練習の効率が悪くなりますし、大の大人が何度もこけてまで自転車をこぐ練習をしているのは、ちょっと恥ずかしい光景かもしれませんね。ひょっとしたら人目につかないように夜中にこっそり自転車に乗る練習をされた方もいるかもしれません。
それはさておき、自転車に乗る、操縦するのは技術である、ということを否定される方は少数派でしょう。誰でもとは言いませんが、自転車に乗るのはさほど才能が必要なことではなく、練習さえすれば誰でもちょっとした移動手段として使うことができるようになります。しかし、自転車に乗る練習をしない人は自転車に乗れるでしょうか?

初めて自転車に乗ってみた日のことを思い出してみてください。サドルに腰を落ち着けて、ペダルをグッと踏み込んで直進する。ただこれだけのことなのに、バランスを取るのが難しくて何度もこけたりしたのではないでしょうか? そう、自転車は練習すれば誰にでも乗れるくらい簡単な乗り物ですが、練習をしない限りは特別な才能がなければ乗り回せないものでもあるのです。
それではもう一度問いかけてみましょう。あなたは「片付け」が出来ますか?
片付けは「技術」
今までのLessonでは片付けの心理的な側面について語ってきました。
片付け系の書籍でも、効果的に部屋を片付けるための心理的なテクニック、片付けが人間心理に及ぼす効果などに触れたものは多々あります。しかし、それらの本も片付けの「技術的側面」をないがしろにすることはありません。どれほど薄い本であろうとも、何をどのようにすれば部屋が綺麗になるのかという具体的な技術指導に充分なページを割いています。
片付けは他の家事と同じように「技術」を必要とするものです。片付け用の技術がなければ、いざ部屋を片付けようとしても不安定な自転車のようにあっちに行ったりこっちに行ったりしてしまい、結果的に部屋が汚いまま時間だけが過ぎていくということになりがちです。
これも私たちの抱きがちな「思い込み」なのですが、そもそも片付けは全員が生まれながらに自然とできるものではありません。子供の頃に歯を磨く練習をしなかった人は大人になっても正しい歯の磨き方が分かりませんし、料理をしたことのない人には野菜ひとつ切るのも大変な重労働です。それと同じように片付けにもテクニックの問題が付きまとうのですが、なぜかわたしたちは片付けだけは誰にでもできるものだと思い込みがちです。
汚い部屋、片付いていない部屋を見ても「時間が無くて忙しいんだろうか」「ものぐさなんだろうか」と疑問に思うことはあっても、「なるほどこの人は初歩の初歩くらいの片付けテクニックしか身に着けていないのだな」と考えることは滅多にありません。
一度「技術」の問題を性格や生活習慣にすり替えてしまうと、その思い込みからなかなか脱却できなくなります。「自分は片付けの出来る人間だが、時間もないしものぐさだから部屋が片付かない」と考えてしまうと、片付けテクニックを習得するという発想の芽が摘まれてしまいますし、いつまで経っても片付けが出来るようにはなりません。それどころか、
「自分は片付けの出来る人間だ」
→「部屋が片付かないのは時間がないからだ」
→「ずっと時間が無くて心に余裕がない」
という具合に、間違った考えからおかしなループに迷い込んでしまうことがあります。これを自転車にたとえると、
「自分は自転車に乗れる人間だ」
→「実際に何度も乗ってみたが、全然前に進めないし何度も転んでけがをする」
→「自転車は危険な乗り物だ」
このように書いてしまうと、いかにおかしな状態かご理解いただけるでしょう。もちろん皆さんが全員同じような発想をするわけではありませんが、最初の段階で前提を間違えてしまうとあとあと修正が利かず、おかしな方向に足を踏み入れてしまう可能性が高くなります。そしていったんおかしな発想を抱いてしまうと、一生そのままになり、場合によっては持論として振りかざすようになる危険性さえあるのです。これは片付けのテクニックを学ばなかった代償としてはあまりにも大きいものではないでしょうか?
片付けは本能的な行動ではないが、学ぶのは簡単
どんなに頭のいい人であろうと、要領のいい人であろうと、学んだり練習したりしなくても自然と出来るようになるのは本能的な行動のみです。ただぼんやりと歩いてみたり、呼吸したり、目をつぶって安らかに眠ったりするのは誰にでもできますが、片付けは「料理」や他の家事と同じように「やり方を学んで、練習する」という過程を経ていなければ出来るようにはなりません。
逆に言えば、やり方さえ学んでしまえば技術的な問題はクリア出来るのですから、後は一気に楽になります。「自転車で隣町へ行って〇〇を買ってきてください」と言われても自転車に乗れない方にとっては難しいことですが、自転車に乗れる方ならさほど難しいことではありません。
同じように、漠然と「部屋を片付けて下さい」と言われたときも、物を捨てるための判断基準を持ち、柔軟な発想で部屋の片付けを行うテクニックを有していれば、とても簡単に片付けを遂行できるようになるのです。
部屋が片付かない人は、まず「片付けは誰にでも出来る」という思い込みを捨て、自分は片付けの出来ない人間ではないかと疑うところから始めてみましょう。片付けは文化的な行動であり、やり方は様々なれど作法が存在します。無限に本が出せるほどのテクニックがあります。ほとんどはほんのちょっとしたコツであり、大人になるまでに「当然のこと」として身に着けている方も大勢いますが、そのテクニックを学んだことのない方は自転車に乗れない方より多いものです。
また、片付けに自信がある方でも「家政学の一環として本格的に方法論を学んだことがある」という方は少ないでしょう。本格的な片付け術や収納術を学ぶ前に、まず自分自身の片付け能力をしっかり分析して足りないところを補っていけば、隙間にすっと物を収納するように効率よく知識を吸収することができます。
片付けは「技術」である。その一面をけっして忘れないようにしましょう。